みずえの くりやうた

  《 或るうどん屋さんの話 》


人生に出会いは大切である。私が、出会って良かったと、いつも思う料理人が居る。その人は、女性である。出会いの発端は、10数年前、私がN市に転勤したこと。時まさに、パブルの真最中で、当時金融機関の管理職をしていた私は、毎日帰宅は深夜で、幸運にも彼女の店のそばに転勤して来たことを、亡き母(転勤の直前に母を亡くした)の導きかと、心から感謝した。「もし、閉店時間後で、お店の提灯の明かりが消えていても、片付けに1時間ぐらいは掛かるので、残り物でお茶漬けでも良かったら、貴女だけは、お店に入っても良いのよ」と言って貰ったのである。お陰で、過酷な5年半を健康で乗り切ることが出来た。しかし、私には、それよりも、彼女の、まさに本物の素材で、本物の調理をする姿に、毎日、目を洗われるような日々であった。驚く程、値段の安い店で、「うちは、一膳めし屋よ。」と謙遜する彼女だが、なんの、なんの、味覚が抜群に優れていて驚かされた。そして、何より、彼女の料理人としての腕前とポリシーは、一流の料理人に引けを取らないと思った。(事実、料理人が噂を聞き付けて、黙って10日間通い、最後の日に「今日で10日間、連続して通いました。さすがですね。」と、賞賛の言葉と共に、彼女に身分を明かしたのを、私は横で偶然聞いていたこともある。)彼女に出会う迄は、私はもっぱら、書籍で料理を勉強していた。阪神大震災で失うまでは、私はエッセイも含めて、200册の料理関係書籍を持っていた。そんな私であったが、彼女を知ってからは、ひたすら、彼女を師匠と仰いでいる。



その彼女から聞いた、忘れられない話の中のひとつに、「うどん屋」の話がある。彼女が、20年程前に、生活の為に働かざるを得なくなった時、それまで主婦の経験しかなかった彼女は、資金も無かったので、商売をするには、不利な袋小路の奥に、うどん屋の店を構えた。表通りには、うどん屋さんが3軒あり、それだけでも不利であった。彼女は、その中の一番良いうどん玉を使っている店より、更に良い「うどん玉」を別注した。「花かつお」は、かつお節屋さんに、その朝削って貰ったものを、毎朝5時に受け取りに行った。そして、その日削ったものしか、使わなかった。私が、うどんなら、かつお節でなくても、さば節でも、良いのでは?と聞くと、「いや、どんぶりをお客の前に置いた瞬間の、フーと暖かい湯気と共に顔を包む、得も言われぬ香りが大切なので、うどんこそ、出し汁は最高の物を使わなければならない」との事であった。うどんは、さば節の方が良いと言う人もいるかも知れないので、強制するつもりは無いが、私は彼女の心意気に痺れっぱなしであった。ここからが、すごい。出前という出前は、すべて彼女の店に、依頼が来る様になった。そして、数年後、ふと気が付いたら、あの老舗の3軒のうどん屋さんは、すべて潰れてしまっていたのである。彼女が上質の昆布とかつお節で作る、美しい山吹色の出し汁の、味と香りを知っている私は、むべなるかなと思い、深く感動したものであった。私の心に、料理はもちろん、「すべて、基本が大切」であると言うことが、改めて、強く刻まれた瞬間であった。

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