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2001.2.23      ◆アルハンブラ宮殿


(2001.2.23(金)の日記より)   
<アルハンブラ宮殿>
                 
昨日は、涙を拭きながら「父の手紙」をアップロードした後で、くよくよ
したり、いろいろ起伏があったからか、昨夜は長い間眠れなかった。
ここ数日、又、腱鞘炎がぶり返した。左手首がとても痛い。多分、大きな
ガラスの花瓶の水替えの時、無理したと思う。
今朝、遅い朝食を取っていると、NHKテレビで「2つの民族、1つの学校」
と言うドキュメント番組をやっていた。ユダヤ教とイスラム教の混在する
地域で、身の廻りで日常的にどちらかの民族が殺される中で、ストレスに
さらされている子供達のことが、放映されていた。
その中で、ユダヤ人、アラブ人の子供達を区別せず一緒に教えることが、
互いの民族の融和に役立つとの理想のもとに運営されている学校があり、
そこで学んでいる子供達と、その子供達への教育に心血を注いでいる先生
方の姿が写されていて、私は涙を拭きながら見ていた。

そして、これが終わった後、次の番組は「名曲アルバム100選」となり、
たまたま、私の大好きな曲、「アランブラ宮殿の思い出」(私のCDでは、
「アルハンブラの想い出」)が流れて来た。
テロップによる説明で、私は次のことを知った。
この曲は、作曲者タレルガが、アンダルシアの古都グラナダの遺蹟「アル
ハンブラ宮殿」を訪れたときの印象に基づいて作曲されたもので、アルハ
ンブラ宮殿とは、赤い城と言う意味である。
いにしえの日々、イスラムの王達が、このアルハンブラ宮殿にて、つかの
間の栄華を愉しんだ、と…。
この地をイスラムの民が征服した時も、多くの血が流され、又、涙が流さ
れたことであろう。そして、民族の争いは、今に続いているのである。
直前に見た、現実の二つの民族の諍いと、遠い日の栄華の跡…。
幸せでさえつかの間なのに、争いあって苦しむことの虚しさ。
アルハンブラ宮殿の美しさが、いつまでも心に残った。

以前、勤めていた時、とても可愛がって頂いた年輩のお客さまがあった。
そのYさんは、上品で物静かな老紳士で、クラシックファンであった。
私は、音楽には全く無関心で、ラジカセも持っていなかったが、ある時、
私の勤め先の支店長が、私に言われた。
「Yさんが、貴女が、ラジカセも持っていないので、『クラッシックの
CDも差し上げられなくて困ります』と言われていましたよ。ラジカセ
ぐらい買いなさいよ。」と…。
そこで、私はラジカセを購入し、頂いたCDが「アルハンブラの想い出」
であった。私が持った初めてのCDであった。私は、ギターのトレモロの
美しい音色に魅せられて、Yさんが、これを下さったことを感謝した。
しかし、アルハンブラ宮殿と言う遺蹟があって、それをを見た感動を曲
にしたものだとは、今日迄知らなかった。
今年、Yさんは90才となられた。仲良し4人組で、今でも毎年ヴァレンタ
インデーには、チョコレートをお届けしていたが、今年は、多忙で思い
出すのが遅くなり間に合わなくなったので、当日お電話だけ差し上げた。
とても、お元気なお声だったので嬉しかった。(しかし、奥様はここ数
年ベッドの生活となられた。)

今日のテレビで「アルハンブラ宮殿」の美しさに心をうたれ、いつか、
ここを訪ねて見たいと言う気持ちが、沸き上がっていることに気付いた。
旅行嫌いの私にしては信じられないことに…。



<昼 食>
(お茶漬け)


<お 茶>
(美味しいバナナ)


<夕 食>
ご飯を炊く時、「赤米」を10分の1程まぜて炊くと、
お赤飯と同じ色のご飯が出来ます。これが美味しいこと!
お赤飯よりもあっさりしていて、飽きない味です。    
 (多めに炊いて、冷凍しておくと便利ですし、
    身体にも良いですよ。)         




<みずえ’S 写真館>より



深紅の薔薇



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