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「本屋さんの絵」奮闘記 |
※ 完成した「本屋さんの絵」は、一番下にあります。 |
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私の友人の、大島なえさんが「本屋さんで散歩」というエッセイ集を出版することになりました。挿し絵は、私、大島水絵です。そして、あと1枚、「本屋さんの絵」をと所望されました。
翌日、私は、喫茶店で友人と待ち合わせをしました。その友人Sさんは、中学・高校時代の絵画クラブから始まって、今も、趣味で絵を描いている人です。絵画暦40年以上でしょうか。 本の著者である、大島なえさんは、家が近いこともあり、何度も我が家に来てくれました。
その間に、私の膝が少しずつ悪化しました。 神戸市の主催する市民センターで、ヨガを習って半年になります。先生がとても優しい方で、膝を傷めている私を、いつも、気づかって下さいます。「大分、良くなってきましたね。」と嬉しそうに、皆の前で声を掛けて下さったので、私は、張り切って「海老反り」のポーズの時、皆と一緒に足を反らせて頑張りました。本当は、斜に足を上げると激痛がするのです。 その結果、その後2回、痛みで教室を休んでしまいました。私ってバカだなと思いました。すぐ調子に乗るのです。 3月の始めの麻雀会で座り過ぎて、少し無理していたことも、膝の症状が、ぶり返す原因になったと思います。 もちろん、パソコンでの座り続けが、足にとても悪いのですが、時間を区切って仕事をする配慮が、どうしてもおろそかになっていました。 そんなある夜、夙川のお蕎麦屋さんで鴨鍋を3月一杯予約できると言うので、Sさんと行きました。 アメリカが、イラクを攻撃開始した日でした。 鴨鍋の美味しかったこと! 近年稀な美味でした。私とSさんは、大いに感激して、日本酒で盛り上がりました。鴨鍋の最後は、お蕎麦でシャブシャブして仕上げです。「お蕎麦で一杯」なんて、江戸っ子みたいね、とすっかりご機嫌でした。 その後のことです。喫茶店でくつろいでいると、急に、お腹が差し込んで来ました。(3時頃、おやつに食べたケーキが悪かったのだと思います。) すぐタクシーに乗って、家へ帰ってトイレに飛び込む積りでしたが、駅が近いので、そこでトイレを借りたらと言ってもらって、そうすることにしました。ところが、なんとしましょう?そこには、和式のトイレしかなかったのです。 私は、膝を傷めていて、しゃがめないのです。仕方なく、配管を両手で握り、身体を斜にして、痛い足を出来るだけ折らざるを得なくなったのです。ごめんなさい。尾籠な話を詳しくして…。でも、このパプニングが、のちのち、どの様な結果になったのかを、言わずにはおられなくて…。 トイレから出た私は、とても、すっきりして、そのまま、電車をひと駅乗ってから、夜道をSさんと、スタスタ、スタスタと早足で歩いて帰りました。 深夜帰宅後、パソコンの前に座り、絵の続きを描きました。本屋さんの後ろに、白い柵を描きました。 やった〜! たった、これだけで、驚くほど良くなりました。これでもう、殆ど出来上がりです。嬉しい! その翌日からです。激痛が始まったのは…。 でも、まだトイレ事件が元凶だとは、気が付きませんでした。 三宮へ出掛けましたが、あまりの激痛で歩けなくなり、戻って来ました。 更に、次の日は、それ以上の激痛です。膝の痛みをかばう為に、ふくらはぎに力を入れていたので、ふくらはぎまで激痛となり、左足全体が、倍の大きさに腫れました。歩けないのはもちろん、寝返りも打てません。 もともと、阪神大震災の時、復興作業で傷めた膝なのです。昨年、治ったと思って無理をしてぶり返し、又、今回傷めました。整形外科では、一過性のものなので、日が経てば治りますとのことでした。 それから、数日間掛かって、「本屋さんの絵」は、どんどん、完成に近付きました。 ようやく、締め切り直前に、作品は出来上がりました。 私は、出来上がった絵をMOに撮って、足を引きずりながら郵便局へ行き、出版社へ速達で送りました。 ところが、そのMOは読めないと、出版社から連絡がありました。大変です。この足で、明石の出版社迄持参することは難しいと思いました。 念のため、メールに添付して送る様指示があり、その様にしたら、これは大丈夫でした。 便利な世の中になったものです。3月末迄という期限に、間に合いました。これで、一件落着です。 本当に、「短い期間で長い旅」をしました。 そして、私の『The Never Endding Story』の中の1章の、楽しい「旅」は、これで終わりました。 (完)
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