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<2003.3月分>

    「本屋さんの絵」奮闘記

(その1) たろう君との出会い

(その2) たろう君はトラキチだった?

(その3) 短い期間で長い旅


※ 完成した「本屋さんの絵」は、一番下にあります。










たろう君

たろう君は、本屋さんが大好き。

「本屋さんへ行こうよ」と言って

スタスタと歩き出しました。



   「本屋さんの絵」奮闘記(その1)


  「たろう君」との出会い

私の友人の、大島なえさんが「本屋さんで散歩」というエッセイ集を出版することになりました。挿し絵は、私、大島水絵です。そして、あと1枚、「本屋さんの絵」をと所望されました。

そこで、私は、神戸や、大阪の本屋さんをカメラを持って探しに行きましたが、描きたい店が見つけられませんでした。
そして、そのことを、先日、元町へ行った時、南京町のコーヒー屋さんで顔見知りの女性オーナーに話していましたら、私の隣席の女性を紹介してくれて、この人に聞いたら良いと言われました。
その女性は、大の旅行好きで、「英国に行く度に必ず見に行くすてきな本屋がある」とのことでした。私も、古い本屋を描いてみたいと思っていましたので、渡りに舟でした。参考になる本があるので、貸して上げましょうとのことなので、近くの彼女の仕事場にお邪魔しました。(彼女は、ヨーロッパへの興味と深い研究から、タロット占いの道に入った人でした。)簡単には手に入らない、ヨーロッパのお城やお庭などの素晴らしい豪華な写真集や本を沢山所蔵されていて、テレビ局が借りに来たこともあるそうです。それらを、丁寧な説明入りで見せて頂きました。

その時借りたのが、「はてしない物語」(The Never Ending Story) でした。しかし、その本には、本屋さんの形は、絵も写真も全く出てきません。「これを読んでイメージを膨らませて下さい」と言われました。なるほど〜、この人は素晴らしいセンスの人だなと、尊敬しつつ、でも、少しは本屋さんの形を見たいと思いました。
私が、少しがっかりしていると、「では、ビデオの『The Never Ending Story』を見られたら?それには、出て来ますよ。」とのことなので、私は嬉しくなり、その足で、ビデオ屋さんに借りに行きました。しかし、ビデオを借りるには、身分証明が必要とのことなので、翌日、健康保険証を持って、又、三宮まで出直しました。私は、ビデオはさわったこともなかったのです。
昨年買い換えた我が家のテレビに、ビデオの装置は付いているのですが、使ったことはありませんでした。

翌日、私は心をはやらせて「The Never Endding Story」のビデオを見ましたが、本屋さんの場面は、2回出てくるだけでした。
それも、主人公の少年が、いじめっ子に追い掛けられて、お店に逃げ込むのですが、その時、ドアの一部だけが出て来ました。唐草の模様のあるガラスが素敵だなと思っていましたら、それが、本屋さんのドアだったのです。
その次は店内で、頑固な老主人が、「子供は嫌いだ。出て行け。」と言います。でも、二人はすぐ仲良くなり、少年は、店主から本を借りるのです。
それが、素晴らしい物語への導入部となるのですが、出て来たのはその2回で、本屋の外形は、結局分らないままでした。

「ウーン!イメージを膨らまさなくちゃ」と、いくら思っても、全然見たことが無いので膨らみません。
時間が無い私は、しかたなく、神戸の異人館の屋根や、アーチ型のドアを描いて、昔風の本屋さんを描いて見ました。
知り合いに見せると、「駅舎みたい」、「図書館みたい」とさんざんです。
私が見ても、漢方薬屋さんみたいに思えます。「×××丸」などと、丸薬の旗が立っていると似合いそうです。私は、すっかり落ち込んで、描き直しをすることにしました。

真剣に制作に没頭しました。
私は、又、こんな日が戻ってくるとは信じられない思いでした。この1年体調を崩している間に、遊び癖が付いてしまっていたのです。特に、麻雀をしている時、もう仕事には戻らないだろうな、こんな楽しさを知ってしまったのだから…と思っていました。私って、何でも長続きはしない人なのだ、安易な方に流れる人なのだという苦い思いに胸が塞がれていました。
そんな私が、今、再び仕事をしている。そのことに気付いて、私は感動しました。私は、元に戻ったのです。チャンスをくれた皆さん、有難う。
でも、日が無く、3月10日迄の期限には、とうとう間に合わなくなりました。
そのことを、出版社の社長に報告しました。幸い、私の体調のことを考慮して貰って、間に合えば本の中に…、間に合わなければ、別の方法で…と考えて頂いていたので、助かりました。

その間に、私は、「たろう君」と出会いました。
この少年とは、私の絵の中で知り合ったのです。たろう君は、とても本好きな少年で、私に「本屋さんへ行こうよ」と誘ってくれました。そして、先に立ってスタスタと歩いて行くのです。足の遅い私は、「待って!待って!」と、追い掛けて行きます。
そんな、楽しい「バーチャル・リアリティ」の世界の中で、一所懸命、たろう君に付いて行きながら、「彼は、どんな本屋さんに、私を連れて行ってくれるのかしら?」と思っているおばさん…、それが、今の私なのです。
今から、それがはっきり見えてくることでしょう。
ですから、次は、たろう君が連れて行ってくれた本屋さんの絵を、お目に掛けることができる筈です。お楽しみに!






<衣替えしたたろう君>へ聞いてみました。

「たろう君、あなたの背中には、何が描いてあるの?」

「え?熊ではなくて、寅の赤ちゃんなの? フーン…? 」

「あ、そうか。たろう君は、トラキチだったんだね!」



    「本屋さんの絵」奮闘記(その2)


◎ たろう君は、トラキチだった?


私は、いつも制作に行き詰まる度に、少し外へ出て気分転換をしたり、友人に会いに行ったりします。
今回、そんな制作途中の苦労話を、上の第1話「たろう君との出会い」にまとめてホームページにUPした後、外出から帰ると、私の掲示板にWeb友達のHさんからの書き込みが入っていて、その言葉に嬉しくなりました。
内容は、私をとりまく人々が「生き生きと立ち上がっていて、読みながら、そして読んだ後、とても気持ちよくなった」、そして、「<短い期間で長い旅>をしましたね。」と素敵な言葉でした。
私は、とりとめもないことを書いたなーと、少し恥じていましたので、正直ほっとしました。
(いつも、何を発表しても、この思いから解き放たれることは、なさそうです。これは、私だけでしょうか?皆さん、同じなのでしょうか?特に、自分の食事風景をUPした直後は、羞恥心からか頭が上げられない様な心境になります。)
Hさんの言葉で自信を得た私は、今回の本の著者である「なえさん」の主催する某作家のファンクラブの掲示板に、「たろう君との出会い」をUPしたことを知らせに行きました。  

翌日、私は、喫茶店で友人と待ち合わせをしました。その友人Sさんは、中学・高校時代の絵画クラブから始まって、今も、趣味で絵を描いている人です。絵画暦40年以上でしょうか。
一方、私はと言えば、銀行員生活40年、その間、絵とは全く無縁で、画家の名も知らず、美術展にも無関心という生活だった為か、絵画的センスが培われていません。それで、絵の制作に行き詰まると、Sさんや他の友人のアドバイイスを頼りにしています。
私が、殆ど出来上がった絵をプリントしたものを見せると、彼女は、「描いても良い?」と言って、その用紙に鉛筆でどんどん影を描いて行きました。「いつも、先生に影を入れると絵が引き締まると言われるのよ」と言いながら…。
花壇の下、建物の前面、たろう君の足下に、影が入りました。すると、絵が、生き生きと浮き出て見え始めました。そうか、なるほど! とても、納得が行きました。
帰宅した私は、パソコンに向かって、たろう君の足下などに影を描きました。

本の著者である、大島なえさんは、家が近いこともあり、何度も我が家に来てくれました。
ある時、たろう君の服のことを、彼女が「子供は、こんな地味なものは着ないです。」と言いました。又、「背中に何か描いているものなどを着ている。」と…。そして、「黒い靴は、穿かない。」とも…。なるほど!
彼女は、中学生の二人の子供を持っているので良く分っている。良いことを聞いたと思いました。 
さっそく、たろう君の衣替えをしました。明るい色のシャツを着せて、背中に熊を描くことにしました。
しかし、熊はどんな顔をしていたっけ?などと思いながら描いている内に、熊らしくないものになってしまいました。
「失敗! おや、何かに似てるな。あ、寅の赤ちゃんみたいだ。」と思い、描き直そうとして、ふと、思いました。
「そうだ。なえさんの主催する某作家のファンクラブの男性の面々は、トラキチ(熱狂的阪神タイガースファン)揃いだから、この方が良かったかも…。」と思い、そのままにしました。
たろう君は、満足そうに生き生きとしていました。
「たろう君、あなたはトラキチだったのね。」と私は、たろう君に言いました。






お待たせしました。


たろう君の
お気に入りの
本屋さんは

ここでした。


後ろの山
たろう君の大好きな
六甲山です。


  「本屋さんの絵」奮闘記(その3)

 ◎  短い期間で長い旅


その間に、私の膝が少しずつ悪化しました。
神戸市の主催する市民センターで、ヨガを習って半年になります。先生がとても優しい方で、膝を傷めている私を、いつも、気づかって下さいます。「大分、良くなってきましたね。」と嬉しそうに、皆の前で声を掛けて下さったので、私は、張り切って「海老反り」のポーズの時、皆と一緒に足を反らせて頑張りました。本当は、斜に足を上げると激痛がするのです。
その結果、その後2回、痛みで教室を休んでしまいました。私ってバカだなと思いました。すぐ調子に乗るのです。
3月の始めの麻雀会で座り過ぎて、少し無理していたことも、膝の症状が、ぶり返す原因になったと思います。
もちろん、パソコンでの座り続けが、足にとても悪いのですが、時間を区切って仕事をする配慮が、どうしてもおろそかになっていました。

そんなある夜、夙川のお蕎麦屋さんで鴨鍋を3月一杯予約できると言うので、Sさんと行きました。
アメリカが、イラクを攻撃開始した日でした。
鴨鍋の美味しかったこと! 近年稀な美味でした。私とSさんは、大いに感激して、日本酒で盛り上がりました。鴨鍋の最後は、お蕎麦でシャブシャブして仕上げです。「お蕎麦で一杯」なんて、江戸っ子みたいね、とすっかりご機嫌でした。
その後のことです。喫茶店でくつろいでいると、急に、お腹が差し込んで来ました。(3時頃、おやつに食べたケーキが悪かったのだと思います。)
すぐタクシーに乗って、家へ帰ってトイレに飛び込む積りでしたが、駅が近いので、そこでトイレを借りたらと言ってもらって、そうすることにしました。ところが、なんとしましょう?そこには、和式のトイレしかなかったのです。
私は、膝を傷めていて、しゃがめないのです。仕方なく、配管を両手で握り、身体を斜にして、痛い足を出来るだけ折らざるを得なくなったのです。ごめんなさい。尾籠な話を詳しくして…。でも、このパプニングが、のちのち、どの様な結果になったのかを、言わずにはおられなくて…。
トイレから出た私は、とても、すっきりして、そのまま、電車をひと駅乗ってから、夜道をSさんと、スタスタ、スタスタと早足で歩いて帰りました。
深夜帰宅後、パソコンの前に座り、絵の続きを描きました。本屋さんの後ろに、白い柵を描きました。
やった〜! たった、これだけで、驚くほど良くなりました。これでもう、殆ど出来上がりです。嬉しい! 

その翌日からです。激痛が始まったのは…。
でも、まだトイレ事件が元凶だとは、気が付きませんでした。
三宮へ出掛けましたが、あまりの激痛で歩けなくなり、戻って来ました。
更に、次の日は、それ以上の激痛です。膝の痛みをかばう為に、ふくらはぎに力を入れていたので、ふくらはぎまで激痛となり、左足全体が、倍の大きさに腫れました。歩けないのはもちろん、寝返りも打てません。
もともと、阪神大震災の時、復興作業で傷めた膝なのです。昨年、治ったと思って無理をしてぶり返し、又、今回傷めました。整形外科では、一過性のものなので、日が経てば治りますとのことでした。

それから、数日間掛かって、「本屋さんの絵」は、どんどん、完成に近付きました。
ようやく、締め切り直前に、作品は出来上がりました。
私は、出来上がった絵をMOに撮って、足を引きずりながら郵便局へ行き、出版社へ速達で送りました。
ところが、そのMOは読めないと、出版社から連絡がありました。大変です。この足で、明石の出版社迄持参することは難しいと思いました。
念のため、メールに添付して送る様指示があり、その様にしたら、これは大丈夫でした。
便利な世の中になったものです。3月末迄という期限に、間に合いました。これで、一件落着です。
本当に、「短い期間で長い旅」をしました。
そして、私の『The Never Endding Story』の中の1章の、楽しい「旅」は、これで終わりました。       

                                         (完)    




(羊の様にのんびりと、この後も少しずつ追加しますので、時々、覗きに来て下さいね。・・・




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