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2001.2.28      ◆愛新覚羅浩の生涯 


(2001.2.28(水)の日記より)  
<愛新覚羅浩の生涯>

今日、テレビで愛新覚羅浩の生涯を放映していた。
日本帝国によって政略結婚させられた、旧満州国最後の皇帝の弟、
「愛新覚羅溥傑」氏と日本の華族の女性、浩(ひろ)の波瀾の物語
りであった。
二人は政略結婚であったが、心から信頼し愛しあった夫婦であった。
敗戦の満州での逃避行と獄中での生活の後、愛新覚羅浩と娘達は、
日本に戻ったが、長女は父親に会うこともなく、天城山で自殺した。
ソ連抑留の後、戦犯として中国に抑留され、離ればなれだった夫、
溥傑氏と妻は、その後、ようやく再会を果たして北京に住んだ。
その後、浩さんが亡くなった時の、妻の亡骸に向かって、心の中で
何かを叫んでいる溥傑氏の、この上も無く悲しそうな表情に、胸を
締め付けられた。溥傑氏も、数年後に後を追う様に亡くなった。

その信頼しあっている夫婦の清らかな姿に、思わず涙が出て来た。
自分の父母の姿とだぶってしまう。昨夜、泣き腫らした眼で、まだ
目のまわりが、カサカサしているのに、又今日も、私は泣いている。
この二人の物語を、今日まで詳しくは知らなかったが、父と母が、
話題にしていたのを、何度か聞いた様に思う。このことを話してい
たのかと懐かしく思った。
この頃の私は、どんどん内向的になってしまった。
「みずえのひとりごと」を書く様になって、私は、思い出の深みに
入って行っている様だ。

「あ、大変遅れる」と慌てて飛び出した。今日は水曜日で、シャン
ソンのレッスン日は明日なのに、間違って芦屋迄出かけてしまった。
先生のお宅のお座敷で待っていると、水曜組の人が来たので「振替
え?」と聞いたら、「いいえ、貴女こそどうしたの?」と言われて、
気が付いた。元々、あわてんぼの私だが、昨日の打撃がきつかった
上、今日も泣いてしまって、私は少し自分を失っている。
それに、今、カレンダーを取り外している。カレンダーの紙が光沢
があり過ぎスタンドの光を反射して作業に差し支えるので、自分で
作ろうと思い、外したまま、まだ作っていないので、日付けと曜日
が分かり難くて難儀している。(それなら、早く作れば良いのに)

シャンソンのレッスンは明日又、出直すことにして、今日は帰る。
帰り道、本屋で「愛新覚羅浩」の本を探そうと考えていたのに、忘
れて帰って来てしまった。
それで、しかたなく、苦手なインターネットで調べようとヤフーで
「愛新覚羅」と検索したら、何と400件も出て来た。分かりやすい
ホームページが、いくつもあって理解し易かった。
便利になったものである。
現実に、インターネットビジネスをやっている筈の私の意識でさえ、
こんなものなのであるから、私の商売が流行らないのは当たり前で
ある。



2/28昼食




2/28夕食
昨日、友人達と、美味しいおでんを食べ
に行き、「持ち帰り」を買って帰った。
それを、今夜の夕食に食べようと包みを
開けた時、プンと強い化学調味料の臭い
が鼻を付き、がっかりしてしまった。 


私は、化学調味料は使わない。
昆布とかつおの出汁で煮物を作ると、
最高に美味しい上に、香りも素晴らしい。
そして、翌日以降は、味も香りも更に良くなる。
これを食べる時が、大袈裟に言えば至福の時である。







<みずえ’S 写真館>より




ピンクのガーベラ





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