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2001.3.1      ◆ラ・メール  


(2001.3.1(木)の日記より)   
<ラ・メール>

今日はシャンソン教室の日である。昨日、間違って出かけてしまったが、
又、今日改めて出かける。今日から、「ラ・メール」のレッスンに入っ
たが、私はこの歌を歌いながら、泣いてしまった。
歌詞は、「ラ・メール 夏の日波は踊る 光の影 ラ・メール 移り行
く小雨に」「ラ・メール 果てしもなく繋がる 愛の夢と ラ・メール 
清らかな青空」「ごらん 渚の青い葦を ごらん かもめの遊ぶ家を」
「ラ・メール 優しい 海のいぶき 愛の歌は ラ・メール 我が胸に
流れる」と言うものであった。

この歌は、海を讃える歌であるが、それも、まさしく希望に溢れた若者
の心境であると思う
私の目に浮かんで来た。船乗りであった父が、若き日、長い航海を終え
て、美しい異国の陸地近くを航行しながら、叉は港に停泊している船の
上から、果てしもなく繋がる美しい青い海と、清らかな青空を見渡しな
がら、「ごらんよ、渚の葦を、かもめの遊ぶ様を」と、希望に溢れて
高らかに叫んでいる、その誇らし気な姿を…。マストに片手を掛けて、
もう一方の手を大きく拡げながら…。(タイタニック号の映画のシーン
と、だぶっている様であるが)
父も若き日、この歌と同じ感動を味わったに違いないと思った。そして、
この海の繋がった先に、愛する妻と子供達が居るのだと言う感動を…。
真っ白な制服、制帽姿の、若き日の父の写真の、端正で、そして輝いて
いた顔が、目の前に彷佛としてきて、涙が止まらなくなった。

先生が、泣いている私に「貴女のその、感受性の豊かさは、作品を描く
上で、とても大切なものです。どうか、その感動をいつまでも失わない
でいて下さいね。」と言って下さった。
(「歳を取って涙もろくなったのでは?」等と、言われなくて良かった)
レッスンが終わってお茶を飲みながら、先生が「お父様は、いつ頃亡く
なられたのですか」と聞かれたので、「数年前に35回忌をすませました」
とお答えしたら、「え…?そんな前に亡くなったのに、そんなに泣ける
のですか?」とびっくりされていた。私は、この10日程毎日泣いている。
一昨日が一番泣いた(=母への詫び)が、昨日も今日も泣いてしまった。

「みずえのひとりごと」を発表し出してから、次々に父母の事を思い出
して、深みにはまって行っている。いわゆる「琴線に触れる」と言う言
葉があるが、私の場合は震え続けているとでも言おうか、心の中の細い
線が常時震えている感じで、ささいなことに振幅し、すぐ涙が出てくる。
この感じは、丁度、父が亡くなった後で、短歌が湧き出して止まらなく
なった35年前と、とてもよく似ている。あの時、すべてを吐き出すまで
は、心の震えが止まらなかった様に、今回も、すべてを言い終わった時
に、初めてこのトンネルから抜け出せるのかも知れない。
私は、そんな気がして来た。それにしても「みずえのひとりごと」から、
こんなことが始まるとは、想像もしていなかった。


3/1お茶
コーヒー、オレンジ
バナナ、ヨーグルト

3/1夕食
ワカメの酢の物、
おでん、みそ汁






<みずえ’S 写真館>より


 
 貝の蓋のお雛様

貝の中の小さなお雛様 
 









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