(1) 2006.8.5の花火の宴(その1、楽しい集い)



(1)
8/5の友人との花火パティーの様子です。
この友人達は、昨年末の引越の日に手伝いに来て呉れた時、我が家の
高層振りに、「夏の花火大会の時、見に来るからね。」とおおはしゃ
ぎしていました。
その時、「そうだ!この人達を、夏の花火の時招待しよう」と、心に
決めていました。
でも、「まず、身内からね。」と言うことで、先日、第1回目として、
芦屋の花火大会の日に私の身内を招待し、次に、この8/5に友人達を
招いたのでした。
(この中には、同じ支店に勤めていたとは言え、時期がずれているの
で、この日始めて顔合わせした人もいましたが、共通の話題や、共通
の同僚・上役などがいるので、すぐ打ち解けて仲良くなってくれました。)

先日の芦屋の花火も、とても遠かったのですが、この日の神戸と淀川
の花火も見えるかどうか、少し心配していました。
そして、あわよくば、北側の宝塚の花火もと…。
もちろん私としては花火は口実で、転居のお披露目が目的でしたが…。




(2)
料理のアップです。
13品、準備しました。



(3)
さあ、とにかく、ビールで乾杯しましょう。


(4)
バルコニーから、西を見ると、遠くに、神戸市の花火が見えました。
音は聞こえませんでした。それでも、赤い色が多くて綺麗でした。

少し遅れて、東の方で淀川の花火です。この方がずっと近くて、音も
聞こえ迫力がありました。みんな、キャアキャアと楽しみました。
西も東も、我が家のバルコニーから視界ギリギリで、本当にラッキー
でした。
遠いので、写真は難しいと思ったので、撮らずに自分の目で楽しみま
した。^^

念の為、玄関へ出て北を見てみると、宝塚の花火が上がっていました。
山の稜線に半分が隠れて、上半分だけ見える花火が、又、素敵でした。
又、手摺に凭れて、そこでも、キャアキャア。
うるさいのは、我が家だけで、ご近所はとても静かでした。汗;;



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(5)
今日の友人たちには、昨年の転居の時、とてもお世話になりました。
「貴女の様に、寄ってたかって引越しする人なんて居ないのよ。
皆、一人で越して行くのよ。」と、別の友人がつくづく言っていまし
たが、本当にその通りだと思います。

昨年の春のこと、甥の結婚式をきっかけに、一旦治っていた膝を、又
悪化させた私は、結婚式終了後、車の後部座席に横になり夜通し遠路
帰宅した時、車中で足と腰と背中の痛みに声も出ない状態で、これで
は、少なくともこの先6カ月は寝込むだろうと覚悟していました。

若い頃から、私は背中が鬼門でした。疲労が溜るといつも背中が痛く
なっていました。震災後も、背中の痛みが6カ月間消えず、大変苦し
んだことがありました。
しかし、昨年から背中の体操をしていたので、鍛えられていたからか、
背中は大丈夫でした。
でも、膝が悪化し、120ccの水を抜かれ、又、激痛が再開しました。
病院始まって以来の最高だそうでした。

(6)
そんな私が、不思議なことに、引越を決意した途端、何故か、手足の
激痛が、急に奇跡的に回復したのです。
体操の成果かも知れません。一番驚いたのは、お医者さんでした。
お陰で、それまで、スーパーで買物中3回も椅子に坐らなければなら
なかった私が、その後、深夜まで立ち詰めの延々と続く重労働に堪え
(引越しで、坐ってできる仕事は一つもありません)、引越をするこ
とができました。

一軒家から、マンションに移る時は、全てを捨てて要る物だけ持って
行く様にとの経験者の助言に従って、どうしても要るもの以外すべて
処分しましたが、震災を免れた荷物も意外に多かったので、処分は
難航しました。
今回の引越で、Nさんは、車で20〜30回来て、処分する物などを運ん
でくれました。
彼女のご主人も、私の古本類を車に積んで、茨木市吹田市の古本屋を
廻ってくれました。でも私が本に名前を書いていたこともあり、全く
売れず、結局、売れた金額はたった200円という笑い話となりました。
欲しい人には欲しいはずの本が沢山あったので、捨てたく無かった私
なのですが、お二人にはご迷惑を掛けました。いつものことですが…。^^

彼女が来てくれるのは仕事が終わってからなので、夜になりますが、
「夜の方が、高速が空いていて走り易いのよ。」と、私の負担になら
ない様に言ってくれましたが、今にして思えば彼女に高速料金の負担
をどのぐらいさせていたことでしょう。
そして、急転直下の引越の事態に心身共にボロボロになっている私を、
温かく包んでくれました。
その時、いつも思いました。皮を剥がれた因幡のしろ兎が、大国主神
(おおくにぬしのみこと)に救われ、蒲の穂わたにくるまれ癒された
という、温かくふんわりと包まれる思いを、私はいつも実感しました。

私はいつもNさんのことを観音様かと思っていますが、もしかしたら、
大国主神の生まれ変わりかも知れませんね?^^
胃の弱い私は、引越関連のストレスで、胃の痛みにさらされていて、
丁度、真夏だったので、例年以上に食事を受け付けず、生きて新天地
に辿り着けるのかと危ぶみました。
見かけに寄らず、私はストレスには弱いです。
友人達の穏やかな優しさが神経質な私には救いであり、無くてはなら
ないもので、私は心から信頼し感謝しました。
そんな私に、「今夜、行けるよ〜。」と彼女から架かって来る電話は、
文字通り、私の心をパッと灯す、ともしびでした。

引越先がなかなか見付からず、困り果てていた時、NさんとSさんは、
私と一緒に、車で何度もいろいろな候補物件を見に廻ってくれて、
「うん!ここなら環境はOK!」などと、自分のことの様に言ってい
ました。
神戸市、西宮市、宝塚市など、いつも3人で、一緒に見て廻りました。
その時、Sさんがふと言った(○○公社は探した?まだだったら一度
電話してみたら?)の一言で、何と、その翌日に私の今の住居が見付
かったのです。
近所の友人Mさんは、勤めの帰りに寄っては、重労働を引き受けてくれ
ました。
このようにして、本当に皆さんのお陰で、私は倒れる前に、今の安住
の地へ辿り着くことができました。

(7)
そして、何と!この同じメンバーが、11年前阪神大震災で全壊した
我が家の再建に献身的に協力してくれた(1年半後に、私が神戸に戻
る日まで…)メンバーなのです。
30〜40年前、同じ職場で働いていた仲間達です。
私は、その11年前の感謝を忘れることはなく、まだそのお礼も充分に
果たせていない内に、又、今回の引越しで更にお世話になったのです。

そんな思いから、私自身が、今日のこの日を一番待っていたのでした。^^
友人達は大変喜んで、花火を楽しみ、料理に驚き素晴らしいと言って
くれました。
「まさか、こんなこと迄して呉れているとは思ってもみなかったわ。」
と目を丸くして、驚いていました。^0^

                    (「その2」へ続く)




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